「ネット広告は暴力になった」――長年抱き続けたECM構想と、これからの『電子対話手法(Electric Communication Method)』
スマホで記事を読んでいる最中、突如として画面全体を覆い尽くすポップアップ広告。
誤タップを誘発するかのように配置された、小さく見えづらい「×」ボタン。
いつからインターネットは、これほどまでに読み手の視界と時間を強引に奪う場所になってしまったのでしょうか。
相手が話している最中に目の前に大声で商品を突きつけるような行いは、現実のコミュニケーションであれば明らかに失礼であり、非紳士的な行為です。画面の向こうにいる「人間」を無視し、数値や効率だけを追い求めた結果生まれたそれらの仕組みは、もはや広告ではなく「Web上の暴力」と呼んでも差し支えないのではないか――。
何十年も前から私の中にあり、時を経てより強固になった「ひとつの思想」について、ここで言葉にしておきたいと思います。
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1. 私たちがワクワクしていた頃の「広告」
もう何十年も前のことです。現在の世間一般では「広告=うっとうしいもの」と捉えられがちですが、少なくとも幼少期の私にとって、テレビCMは心奪われるエンターテインメント的な「作品」でした。
かつての広告は、短時間の中にストーリーやクリエイティブがぎゅっと凝縮され、見ているだけで心が動くものでした。視聴者に対する優しさもあり、寸劇の向こうにはるか彼方の世界を演出したものもありました。
あるいは、通販番組のジャパネットたかた。前社長が甲高い声で熱っぽく商品を語りかける姿は、単なる「機能と価格の提示」ではなく、独立したひとつの名物番組として成立していました。そこには「この商品で、あなたの生活がどう楽しく変わるか」という情熱的なプレゼンがあり、画面越しであっても確かな熱量のやり取りが存在していたのです。視聴する事で楽しさや深ささえ感じられたものです。
広告とは本来、押しつけるものではなく、見る人を楽しませ、心を動かす「表現作品」であり、双方向の対話のきっかけだったはずです。
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2. 「売り込めばいい」という濁流と、スマホ社会の歪み
しかし、インターネットの普及とともに広まったのは「EC=eコマース=とにかく売り込めばいい」という風潮でした。
クリック数を稼ぐための煽りや騙し絵のような誘導、ユーザーの後を追いかけ回す追跡型広告。
作る側・出す側の「手軽に稼ぎたい」「効率よく集金したい」という都合ばかりが優先され、読み手の「心地よさ」や「体験(UX)」は完全に置き去りにされていきました。
さらに罪深いのは、スマホという「本来なら高度な双方向のやり取りができる最高のツール」を手に入れた現代人が、アルゴリズムの流してくる動画やニュースを無感情にスクロールして消費するだけという、テレビ以上に受動的な使い方に閉じ込められている点です。
ツールは劇的に進化したのに、人間の使い方が受動的なままで止まっている。
そして画面の至る所で「押し付けの暴力」が横行している。私はこの世間の濁流に対して、長年強い違和感と苛立ちを抱き続けてきました。
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3. 「eコマース」への絶望から、「電子対話手法」への再解釈の希望へッ!
私は昔から「eコマース」という言葉、そして「売買の道具としてネットを使い倒す思想」そのものが嫌いでした。
かつてECの「Commerce」という言葉には、単なる売買だけでなく「人々が行き交い、交流する」という意味が含まれていました。それがいつの間にか「集金システム」の意味ばかりが肥大化してしまったのです。ユーザー体験を損ねる広告は、数値(クリック数)だけを追いかけ続け、その結果として長期的にはブランド価値を自ら破壊しているとさえ思います。
私は何十年も昔から、「eコマース」に対抗すべく、かつての広告に対するリスペクトとして長年温めてきた「eコマーシャル」としての「ECM」構想を抱いていました。時を経て現在、「ECM」という言葉の解釈を、今改めてこう定義し直したいと考えています。
>ECM = Electric Communication Method(電子対話手法)<
インターネットの本質は、売りつけるための「市場」ではなく、人間同士が意思疎通を行うための「対話の場」であるべきです。
関係性の変化:発信者と読者は「売る側/買わされる側」ではなく、同じテーマや問いを深め合う「対話者」になる。
広告の位置づけ:広告や商品は「買わせるもの」ではなく、対話を深めるための「具体的な手がかり(アンカー)」や「話題のきっかけ」として置く。
読者がコンテンツを読み、「面白かった、ついでにこんな良い仕組みやツールもあるのか」と後味よく納得できること。一方的な押し売りではなく、電子的な対話(Electric Communication)を丁寧に重ねるための手法(Method)こそが、本来のWebのあるべき姿ではないでしょうか。
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4. 意思疎通のツールとして、新しいMethodを打ち立てる
大手メディアや巨大プラットフォームがどれほどノイズと効率主義に塗れようと、個人が運営するメディアの内部だけは、自身の美学と倫理観を貫くことができます。
読者もまた受け売りではなく、自分の頭で思考を巡らせる。
その心地よい循環を作ることこそが、私が目指す「新しいCommunication Method」の実践です。
スマホをただの「受動的な暇つぶし機」や「押し売りされるディスプレイ」として終わらせない。人間同士の意志や思考が行き交う「本当の双方向ツール」として扱い直すこと。
この大志を胸に、これからもノイズのない、読者との誠実な対話が生まれるコンテンツを発信し続けていけるよう精進していきたいものです。
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