地図を解読する者、手順をなぞる者 ―― 空間認識のギャップと「親切」のゆくえ
幼少期、部屋に置かれた地球儀や地図を眺めるのが好きでした。
時間さえあれば上空からの「鳥瞰」で世界(面)を俯瞰し、頭の中に立体マップを描く。私にとってそれは息をするように自然なことであり、世の中の誰もが同じように「頭の中の地図」を頼りに動いていると疑いもしませんでした。
しかし大人になり、さまざまな体験を経て、その前提は鮮やかに崩れ去ることになります。
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1. 海外で出会った「走りながら迷う」タクシー
最初の違和感は、昔フィリピンを訪れたときのことです。
行先を告げると、ドライバーは自信満々な顔で勢いよく発車しました。しかし、目的地が近づくにつれ、車を何度も止めては街行く人に場所を尋ねまくります。
「なぜ全体の位置関係やルートを把握せずに走り出せるのか?」
当時の私にとっては強烈なカルチャーショックでした。彼は目的地という「点」に向かって、場当たり的に「線」を伸ばしていただけだったのです。
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2. 精魂込めた「親切」が届かないショック
その違和感が自分ごとの痛みに変わったのは、自身で運営するWebサイト(旅行情報網)で金券ショップのデータベースを構築していたときでした。
ユーザーが迷わないよう、場所を示すうえで絶対に必要な「地図」を中心に、精鋭のデータベースを作り込んだつもりでした。しかし、ある人にとってはそれが「で、結局どこにあるの?」という反応にしかならなかったのです。
良かれと思って差し出した「親切」が、相手には難解な記号にしか見えていない。その事実は、作り手としてかなりのショックでした。
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## 3. 「アリ」と「キリギリス」の視点の違い
そんな悩みを抱えていた時期に目にしたのが、あるWeb記事でした。世の中には人間の空間認知において、**「アリの視点」**と**「キリギリスの視点」**を持つ人がいるという考察です。
**キリギリスの視点(二次元・鳥瞰)**: 上空から全体を「面」として把握し、現在地と目的地の位置関係で動く。
**アリの視点(一次元・手順)**: 地面を歩くように「点と線」で把握し、目印と手順(〇〇を右折、〇〇を直進)で動く。
この記事を読んだ瞬間、雷に打たれたような衝撃を受けました。
あのフィリピンのタクシーも、自分のサイトで戸惑っていた読者も、みんな「アリの視点」で世界を見ているのだと分かったからです。
ネット上でよく見かける「駅から目的地までの道中の写真を何枚も貼り、『〇〇を左へ』と案内する親切なブログ」。なぜあそこまで丁寧な手順が必要なのか、その理由がようやく腑に落ちました。
「面を把握し目的地までの経路を進む人と、目印と手順を使って進む人がいる。」
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4. 伝わらない親切と、これからの視点
「自分にとっての分かりやすさ」は、必ずしも「相手にとっての分かりやすさ」ではない。
自分の「当たり前」を疑い、自分とは全く異なる世界の見方をしている人がいると知ること。そして、そのどちらが正しい・間違いということではなく、お互いの目線に合わせた表現を模索すること。
地図を愛する私にとって、相手の視点に寄り添う道直しは、まだまだ終わらない面白い探求になりそうです。
※この記事は、Googleの生成AI・Geminiとの相談によって作成しました。私なりのオリジナリティも含めています。
詳細は「AIによる新しいブログ更新の形」を参照してください。
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